約20ヘクタールもの広大な森に
さまざまなアートスポットが点在する金津創作の森。
なかでも一番の特色は、多彩なジャンルのアーティストたちが
この地に移り住み、創作活動を行っているということです。
まちのすぐ身近なフィールドでさまざまなアートが生み出される。
そんな芸術的風土はどのようにして育まれたのでしょうか?
1998年のオープン時より創作の森に居住している
ガラス工芸作家の山野宏さんに、あわらを拠点とした理由や
あわらで創作することの魅力についてお話しいただきました。
●アメリカで発想力を磨き、日本で技術を身につけた。
——まずは山野さんとガラスとの出会いを教えてもらえますか?
ガラスに興味をもったのは高校2年のとき。五木寛之氏の「白夜物語」という本で描かれていた北欧のガラスが印象的で、ずっと心に焼き付いていました。高校卒業後は東京の大学に進学し史学を学ぶ傍ら、旅行に明け暮れる毎日でした。転機になったのが、大学2年生のとき。山陰地方を1ヵ月かけてまわり、帰りに寄った京都の美術館でスカンジナビアのガラス展を開催していたんです。実際のガラス作品を目にして改めてガラスの魅力に心を奪われ、「自分もやってみたい」と思うようになりました。
当時、同じ学生アパートに住んでいた友達が多摩美術大学の学生で、多摩美に日本初となるガラス工芸のコースが設立されるという話を聞いたんです。それを機にガラスを学びたいという思いが頂点へ。親に美術大学への進学を反対されていた手前もあり、多摩美を受け直すのではなく、まず100万円貯めてヨーロッパを周り、その後、アメリカのカリフォルニア美術単科大学に入学しました。
——アメリカではどのようなことを学びましたか?
カリフォルニア美術単科大学は技術よりも発想に重きをおいた教育スタイルだったので、発想力は磨かれましたが、発想を形にするのに手が追いつかないのが辛かったですね。技術は先輩を見て覚えるしかなかったので、必死でした。そんなとき、友人が持ってきた日本の雑誌に日本で初めてガラスの専門学校「東京ガラス工芸研究所」ができるという記事を見つけました。アメリカでは親の援助もなく働きながら勉強するのに疲れていたこともあり、同校に入学することを決意、帰国しました。
東京ガラス工芸研究所はアメリカとは逆で技術重視だったので、それまで足りなかった技術をみっちり身につけました。まずアメリカののびのびとした環境で発想力を磨き、その後で技術を学んだのは、僕にとって幸いでしたね。おかげで自分の作りたいものを作るというスタイルを追求することができました。
●海外に負けない広々とした環境で創作できる。
——金津創作の森にはどういった縁で移住されたのですか?
金津創作の森に移り住んだのは、創作の森がオープンする1998年。東京ガラス工芸研究所のオーナーからの声かけで、オープンに先駆け、金津創作の森の前事務局長、前金津町長から構想をお聞きしました。「創作の森がある金津エリアは工場が多く、周辺の芦原・三国エリアのように温泉や海など特徴になるものがない。町民アンケートをとったところ、アート、特にガラス工房を希望する声が多かったので、アートを町のシンボルにしたいと考えている」というお話でした。当時は全国的にガラスで町おこしをするのがブームで観光主体のガラス工房が多かったんですが、金津創作の森は作家がそこに住み、創作活動をするという点で他とは違っていました。
僕はその当時、山梨県にガラス工房を持ち活動していましたが、スペースが限られており、音楽を鳴らしたイベントを行うと近隣から苦情がくることもありました。その点、金津創作の森がある一帯は丘陵地で、創作の森自体も非常に広大なスペースで創作活動をすることができる。僕は最初に学んだのがアメリカだったこともあり、アメリカに負けない広々とした環境はとても魅力的でしたね。
▲自ら一軒家を改装したという現在の山野さんのアトリエ。
——あわらで創作することの魅力をどのように感じていますか?
金津創作の森がオープンして以降は、ここを拠点に創作活動を行っています。2003年からは大阪芸術大学で講義を持つようになり、福井と大阪を行き来していますが、隣の家と密接するような大阪の環境で創作することは考えられないですね。あわらの良さは、土地にも、住んでいる人の気持ちにも余裕があること。そんなあわらの地域性が、自分の創作活動につながっていると実感しています。
●アトリエの窓から見える自然の風景をモチーフに。
——今はどのような活動を中心とされていますか?
僕はこれまでアメリカに渡ったり、東京ガラス工芸研究所や大阪芸術大学で教鞭をとったりと、いくつかのターニングポイントがありましたが、最近、新たな転機を迎えていると感じています。それは2〜3年から絵を描き始めたこと。もともと絵は好きで高校時代にも油絵など描いていたんですが、絵は時間がかかるので、ガラスを始めてからは絵に没頭することはできませんでした。
五木寛之さんの著書で、50~75歳は人が最も自由に生きる時期だと語る「林住期」という本があるんですが、僕自身50歳を過ぎた頃から気持ちに変化が生まれ、自分にとって大事なことをやっていきたいなと思うようになりました。そのうちの一つが絵だったんです。
▲好きな音楽を聴きながら、ガラスの上に集中して描いていきます。
——絵を描くことの楽しさとは?
昨年、創作の森の敷地内に工房とは別に一軒家を借り、自分でペンキを塗って改装し、ガラスに絵を描くアトリエにしています。作品は花鳥風月など自然をモチーフにしたものが多いですね。自然を描くのは以前はありきたりな気がして敢えて避けていた部分もあったんですが、自然に囲まれ日々季節の変化を感じながら暮らしているうち、純粋にきれいだなと思えるようになりました。今は、アトリエの窓から見える風景の中に、花や鳥を人間に見立てて描いています。完成した作品はアメリカのギャラリーに送って展示・販売する予定です。
ガラスは2〜3年でスタイルを変えながら「次は何をしよう」と常に先を読みながら作っていました。回遊魚をモチーフにしたガラス作品を多く作っていた頃は、「動くのを止めたら死ぬ」というような人生観がそのまま作品に現れていたところもありました。一方、絵は先を見つめるのではなくそのときそのときの感覚で描くので、心はとても静か。静かに絵と格闘しています。今後も描くことをつきつめながら、ここで死ぬまで創作していきたいですね。
▲取材時に制作中だった作品。木々の中にたたずむ鳥を描いています。
▲作品のモチーフなったアトリエの窓から見える風景。
◎山野宏(やまのひろし)
1956年 福岡県久留米市生まれ。大学時代にガラスと出会いその世界に入る。1カリフォルニア美術単科大学留学を経て1984年 東京ガラス工芸研究所卒業。その後、ガラスの先進国アメリカに渡り、ロチェスター工科大学美術学科ガラスコース美術修士号(MFA)取得。1990〜97年に東京ガラス工芸研究所講師を務めた後、1998年、金津創作の森に拠点を置き、エズラグラススタジオを設立。2003年より大阪芸術大学工芸学科助教授、2006年より同学科教授、2016年より同学科学部長を務める。アメリカを中心に個展を開催し、作品を発表するなど国内外で活躍。
金津創作の森のガラス工房では、吹きガラス講座をはじめとする各種講座や一日体験を実施しています。詳しくは下記までお問い合わせください。
公益財団法人金津創作の森財団
福井県あわら市宮谷57-2-19
TEL. 0776-73-7800
開館時間/10:00~17:00
休館日/月曜日(祝日開館・翌平日休館)・年末年始
http://sosaku.jp/